このままでは富士通はだめになる
富士通元社員が内部告発
告発本「内側から見た富士通」23万部のベストセラー


「成果主義の導入が社員のやる気を失わせ、無能なトップと管理職に対する不満と嫉妬が社内に渦まき、自殺者まで出ている。結果的に日本を代表するリーディングカンパニーだった富士通をボロボロにしてしまった」
富士通人事部に所属していた東大卒の元社員が、自らかかわってきた成果主義の問題点や、富士通リストラの実態を赤裸々につづっています。筆者は「このままでは富士通はだめになる。見切りをつけて退社したが今も愛着はある。経営者に猛省を促す意味もあって本書を書いた」と後書きで述べています

著者 城 繁幸
    1973年山口県生まれ
    東京大学法学部卒業後、富士通に入社。以後人事部にて、新人事制
    度導入直後からその運営に携わる。
    2004年 退社

発行所 光文社


    内容を一部紹介(はじめの部分より)

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 かつて富士通では、売上高1兆円、経常利益1000億円を達成したとき、社員全体に1万円が入ったご祝儀袋が配られた。1万円という金額はともかく、これに感激した社員は多かった。
 それから十数年、2004年3月期決算で、富士通は3年ぶりにかろうじて500億円の黒字を計上した。しかし、これはやっとのことでひねり出した数字で、その裏があった。2004年1月22日、東京・汐留の富士通本社内で、管理職員を集めて、黒川社長は「危機感を共有してほしい」と賃金カットを発表した。そして歴代社長を前に驚くべき発言をした。
「富士通のビジネスを弱くしたのは、いったいなんだったのか。原価を下げる、品質を良くする、納期を遵守すると、一生懸命に上が言っても、下に行くにつれて全部崩れてしまったのではないか。お客様に対する経営の基本を軽視してきたのではないか。部分最適化が起きて、成果主義の誤解につながってしまったのではないか。これが富士通を弱くした原因だと、私自身も役員として率直に反省している」
この言葉に、山本名誉会長、関澤相談役、秋草会長はただ押し黙ったままだった。富士通が日本の大企業として先陣をきって「成果主義」と呼ばれる新しいシステムを導入したのは1993年のことだった。以来富士通を「成果主義」に基づいて経営してきたのは、ここに席を並べた人々であり、黒川社長はこの人々を暗に否定したということになる。つまり、富士通の「成果主義」はここに、名実ともに崩壊したといえるのです。

中略

 富士通のイメージを傷つけたのは、なんと当時の秋草社長の発言だった。「くだらない質問だ。従業員が働かないからいけない。毎年事業計画を立て、そのとおりにやりますといって、やらないからおかしなことになる」(週刊東洋経済2001年10月13日号)
就任以来毎年のように繰り返してきた決算下方修正に対する経営責任について質問された秋草社長はこう言ってのけたのである。このせりふのおかげで、富士通とこの社長の名前は一躍有名になり、社外に対しても富士通の深刻な内部混乱ぶりをくっきりと浮き彫りにしてしまった。
 しかし、社外に漏れた混乱ぶりは氷山の本の一角に過ぎず、実際の社内では目を覆うような惨状が繰り広げられていた。当時。まだ富士通の社員だった私は、そんな話を聞くたびに、胸が痛んだ。しかし、人事部の一社員に過ぎない私には、どうすることもできなかった。
「こんな社長の下で働けるか」
富士通社員なら、誰もがこう感じていた。
 その鬱積が昂じたのだろう、兵庫県明石工場でのりストラの際に、ついに事件が起きた。子会社への転籍対象に指名された従業員の一人が激高し、自分の上司に暴行して、重傷を負わせたのである。
 また長野では、都合3度に及んだリストラで、人事が3000人を超える従業員を早期退職、子会社への転籍へと追い込んだ結果、長野市有数の大工場はガラガラのハリボテに成り果ててしまった。そして、飛び降り自殺者まで出たのだ。この自殺者の出た工場の屋上は、今も立ち入り禁止である。
 社員のストレスは、なにもリストラの嵐が吹き荒れた工場だけではない、神奈川県川崎市にある研究所のグループメンバーは、会社の将来に見切りをつけると、研究中の機密情報を土産代わりに持ち出した。結局二人の懲戒解雇者を出したものの、某主任研究員は、無事2億円の契約金を手にアメリカに移住してしまった。

 業績が悪化してからの富士通社内の混乱ぶりは、さらにエスカレートした。2000年度からスタートしたネクストキャリアプログラムという名の早期退職制度(45歳以上の従業員に最大16か月分の年収を退職金に上乗せ)があったが、この大赤字のプロジェクトの責任者は、逃げ出すように割増退職金を手に退職してしまった。
 営業部門はなぜか自社のハード・ソフトウエアーを使わない商談を積極的に進め始め、たまりかねた開発部隊は、自前で自部門内に販売促進部隊を立ち上げるまでになった。
 こうした大混乱から見えてきたものは、富士通社員の自社に対する絶望以外の何者でもなかった。正直、私自身も会社への愛着をすっかり失っていた。社員の愛社精神は年を重ねるほど薄くなり、代わりに自社を憎悪する人間が増えてきたのだ。
 もちろん大企業に不満分子はつきものだし、富士通にも何十年も前から組織に不満を持つ人間はいくらでもいたが、今回の状況はある意味で異常だった。それは、上司の悪口を肴に酒を飲むというような生易しいものではなく、「あいつを殺したい」「こんな会社潰れてしまえばいい」と平気で口にする社員を、私は無数に見てしまった。

中略

いったい富士通はどうしてしまったのか? 私は2004年に退職するまで、たまたま内側から、富士通の「成果主義」運営の当事者として、これら一連の出来ごとを見つめることができた。だからいま、富士通の人事部門に在籍した私には、そのとき見えた事実について語る義務があると思うし、その事実を知ることは同社の関係者だけではなく日本社会全体にとって得るところは大きいと考えている。


                                                      2004年7月  城  繁幸



  
本書の主なタイトルから

1 急降下した業績 
   ・ シリコンバレーの視察で決まった導入
   ・ 「転職市場」まで作り出した制度改革
   ・ 「成果主義」の中身は「目標管理制度」
   ・ 蛍光灯が間引きされ、昼間でも暗い川崎工場

2 社員はこうして「やる気」を失った
   ・ 「評価」の割り当ては最初から決まっていた
   ・ 実施されないフィードバック
   ・ 無視される「目標シート」
   ・ 「やっぱりオマエは最初からB要員」
   ・ 品質低下と社員の2分極化の進行
   ・ 裁量労働制は人件費カットが目的
   ・ 「詐欺の課と某を担ぐのはイヤ」と辞めた人
   ・ 職場はまさに「内乱」状態となった
   ・ 社内は「できる社員」ばかりという皮肉
   ・ 無気力化する中高年

3 社内総無責任体制
   ・ 公表されない管理職の「目標」と「成果」
   ・ 一般従業員には厳しく、管理職は野放し
   ・ どうしようもなくくり返される組織変更
   ・ 最後の最後まで「先送り」で大リストラ
   ・ 「下方修正」と社長の「居座り」で激高・メールの山
   ・ 決算下方修正の裏事情
   ・ 自社製品を売ろうとしない営業部門

4 「成果主義」と企業文化
   ・ 「成果主義」と矛盾する「社内東急制度」
   ・ 流失する若手社員
   ・ 学生に期待しないから、学生の質も低下
   ・ 中高年管理職のほとんどはノン・パホーマー
   ・ 給料も年金と同じく崩壊する
   ・ 「年功序列制度」にも合理性はある

5 人事部の暗部
   ・ 本社の人事部に対して抱いた疑念
   ・ 本社人事部だけが優遇されていた
   ・ まさかの社長発言に全員真っ青
   ・ 人事独裁体制とブラックリスト
   ・ 「成果主義に満足9割」のインチキ
   ・ なぜ、川崎工場の食堂はまずくて高いのか
   ・ 会社とグル、組合は「富士通第2人事部」だ
   ・ 組合のトップが子会社の社長になるという悪夢

6 日本型「成果主義」の確立へ
   ・ コンサルタント会社まで「成果主義」の見直しを
   ・ 「成果主義」の導入は「人件費抑制」の方便
   ・ 日本独自の「成果主義」が必要だ
   ・ 裁量労働制はどうしたらいいか
   ・ アメリカ発「成果主義」が日本人に問いかけるもの
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